淀川平成病院ではどのようなチーム医療が実践されているのか、当院スタッフによる「心に残ったエピソード」を通じてご紹介します。
今回は、義歯(入れ歯)がきっかけとなって患者さんの口腔機能が回復し、それに伴って食形態の幅が拡がり、患者さんのQOLの向上に大きく貢献した…というエピソードを、歯科衛生士の視点でお伝えします。
半分だけの入れ歯
Tさんは、78歳の男性です。高次脳機能障害により失行・失語のある患者さんで、急性期病院での治療を経て、当院に入院されました。
入院当初、Tさんは経鼻栄養チューブを入れており、上下とも一本も歯のない無歯顎でした。「もしかして…」と思い、Tさんの奥様にTさんの入れ歯の有無を尋ねると、「(急性期病院に)入院する前は、入れ歯で食事をしていたんです」と、入れ歯を持参されました。ところがその入れ歯は、下顎の入れ歯は使える状態であるものの、上顎の入れ歯は真ん中付近で真っ二つに割れており、右半分が無い状態でした。
「(急性期病院に)入院してる間に割れてしまったようです。でも、本人は気づいていないみたい」という奥様の言葉から、嚥下障害のあるTさんは入院中に食事を経口摂取することが無かった事、従って入れ歯を使う機会がなかった為に、破損に誰も気づかなかった事が伺えました。
入れ歯の事を思い出して
「入院前には入れ歯で食事をされていたのなら、当院でその状態に戻そう」と考え、まずご自身の入れ歯を認知して頂こうと「Tさん、ほら、Tさんの入れ歯ですよ」とTさんに下顎の入れ歯を手渡しました。するとTさんは驚いた様子で、不明瞭ながら一生懸命何かを話されました。それはまるで「あっ!入れ歯やんか!どこにあったんや~」と、今まで入れ歯が入っていなかった事への違和感を伝えるかのようでした。
早速入れ歯をつけて頂こうと「Tさん、入れ歯入れてみましょう」と声かけをしますが、症状のため「入れ歯を口に入れる」という行動が理解出来ないご様子。そこで、私が介助して入れ歯を装着して頂くと、口の中できちんと入れ歯が収まっていることが確認出来ました。この様子を見て「口は開けて頂けないけど、入れ歯を付けること自体は嫌ではないみたい。口腔ケアなどの介助をしていけば、ちゃんと入れ歯を使って頂けそう」と思いました。
上下が揃った!
さて、真っ二つに割れてしまっていたTさんの上の入れ歯ですが、修理可能かどうかを歯科医師に相談してみました。左半分しか残っていないため、かなり難易度の高い修理であることが予想されましたが、幸いTさんの歯茎の型取りが出来た事、高い技術を持つ歯科技工士さんに修復をお願い出来た事等が功を奏し、無事修理することが出来ました。これで、上下ともTさんの歯が揃ったことになります。
Tさんに修理された上の入れ歯を渡すと、また「お、こっちもあったんか!」というようなリアクション。ごく自然に上の入れ歯も装着されました。
チームでの口腔ケア
ところがその後、Tさん自身の抵抗力の低下や服薬している薬の影響等により、両側の口角に炎症が起きたり、口の中から出血があったりと、お口のトラブルが相次ぎます。これに対し、主治医と相談しながら、看護師と歯科衛生士が協力して、治療軟膏の塗布など口腔ケアの強化に取り組みました。それぞれの専門性を活かしたチームでの丁寧な口腔ケアにより、患者さんの口の中の状態は段々と良くなってきました。
また、Tさんは当初、入れ歯安定剤を付けて入れ歯を装着していましたが、入れ歯を付けて生活していくうちに、衰えていた口の周りの筋肉が徐々に筋力を取り戻してきたようで、段々と口の中での安定が良くなり、やがて安定剤も必要ないほどに馴染んできました。
患者さんと根気よく向き合う
ところが、馴染みすぎてしまったせいか、今度は入れ歯を外すのが嫌になってしまったTさん。入れ歯を外さなければ十分な洗浄が出来ず、口腔内の環境が悪くなってしまいます。また、Tさんには失語や失行の症状があるため、理解を得るためにはゆっくりと根気よく関わっていかなければなりません。そこで、Tさんに繰り返し歯磨きの動作を伝えると共に、STと協力し、日々の訓練にも歯磨き動作を取り入れてもらうようにしました。
こうして、少しずつTさんの「歯磨きする環境」をきちんと整えていきました。それに伴い、Tさんは徐々に【口腔ケア】を受け入れられるようになりました。やがて、うがいをする仕草があったり、歯ブラシを認識しだしたりする行動が見られるようになり、ついには入れ歯を外したり、歯磨きしたり出来るようになりました。
それまでは、特定のスタッフでしか食事介助や口腔ケアを受け入れられなかったTさんですが、Tさん自身が口腔ケアを理解出来たことで、今ではどのスタッフでもスムーズに支援出来るようになりました。
患者さんの生活を第一に
上下揃って入れ歯が入ったことにより、口から食事を摂る機会も増えたTさん。しかし、夕食だけはPEGからの経腸栄養のままでした。生活リズムを崩すことなく、何とか三食とも経口摂取に出来ないかと多職種で検討した結果、【Tさんだけ夕食時間を早める】方法を試すことになりました。栄養科はTさんの夕食を早く仕上げ、STはTさんの嚥下を評価し、PTやOTは食後の口腔ケアに関わるのです。Tさんに関わる全ての職種が「Tさんに三食とも口から食べて欲しい」という想いで一致していました。
こうして、少しずつ環境を整えながら経口摂取へと移行していったところ、一か月後には他の患者さんと同じ時間に夕食を食べ始められるようになりました。以前は度々夜間覚醒していたTさんでしたが、次第に夜もしっかり眠れるようになり、多少の介助は必要とするものの、トイレも自発的に行けるようになりました。
歯の力・口の力
Tさんは、一日三食とも口から食べられるようになっただけでなく、服薬も出来るようになり、水分も十分に摂れるようになりました。そして遂にPEGも抜去することが出来ました。軟飯・軟菜をしっかり食べられるほどに回復したTさんは、入院した時と比べて表情はずっと豊かになり、スタッフとコミュニケーションを取る際には笑顔も出るようになりました。目が合えば手も挙げて下さいます。
いきいきと当院を退院していくTさんの姿を見て、Tさんの「歯」が、Tさん自身の生活する力を取り戻すと共に、チーム医療の発揮の要になったように思い、改めて歯を含めた口腔機能の大切さを感じずにはいられませんでした。